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福島原発の地元反対同盟

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福島原発の地元反対同盟
闘い40年 石丸小四郎さん

深刻化こそすれど、一向に収束の見通しが立たない、東京電力福島第一原発の事故。
その原発の目と鼻の先に住み、原発反対運動を40年続けてきた男性がいる。
福島県富岡町の元郵便局員石丸小四郎さん(68)。
避難先で、「故郷を失って流浪の民になった怒りと悔しさを、原発を日本からなくす活動につなげる」と話す。

故郷危機 怒りと無力感

石丸さんはいま、秋田市内にある姉のマンションに孫2人と身を寄せる。
避難指示が出た自宅は、第1原発から約4キロ。
富岡町の沿岸部は津波で全て流されたが、町内の高台にあった石丸さん宅は難を逃れた。
「だが、生きてるうちには二度と戻れないと覚悟した」

最近の新聞記事に「避難指示地域で発見された遺体は、高濃度の放射線に汚染されており、収容できていない」とあったからだ。
亡き妻が気に入っていたログハウス、故郷の森…。もう一度見たい、といういちるの望みが消えた。

石丸さんは1970年代から原発反対運動を始めた。現在は「双葉地方原発反対同盟」の代表を務める。
学習を重ね、放射能の怖さを身に染みて知った。
自分たちが住んでいた町は、病院の中にある「放射線管理区域」と同じだと例える。

「放射能は痛くもかゆくもねえし、臭いもしねえ。地元のじっちゃ、ばっちゃには『被ばく量を測りながら入る仕事場と同じで、まま(飯)も食われねえ場所なんだよ』と説明するんだが…」

事故発生後、知り合いから「あんたは反対運動してたから『それみたことか』と思ってるべ」と言われる。
「けれど、そうじゃない。40年も反対して止められず、こんなことになってしまった。ものすごく無力感にさいなまれている」

石丸さんが富岡町に移り住んだのは64年。第1原発の建設工事が始まる直前だった。
「原爆のことを考えたら、夢のエネルギーといわれても半信半疑」だった。
後に双葉町長になって推進派に転じた岩本忠夫氏に誘われ、第2原発建設の反対運動に参加した。
しかし、反対運動はあっという間に切り崩された。

交付金特需→財政悪化→原子炉増設
雇用と引き替えに


もともと、福島県双葉郡は産業がなく出稼ぎが多い。
ところが原発建設が進んだ70~80年代、地元は“原発特需”に沸き返った。
喫茶店や居酒屋、下宿屋などが林立。町には交付金など数千億円が流れ込んだ。

「飲み屋の主人が『こんなに金もうけていいもんだべかな』というくらい。そのうち仙台のようになるといわれた」
子や孫が原発関連の仕事に就職するようになり、反対派は1人消え、2人消えしていった。

しかし、特需は建設工事が終わると去った。
それにもかかわらず、地元自治体は体育館や温泉施設などをどんどん建設した。
しかし、夢物語はいつまでも続かない。
「電源三法交付金は建設後10年もたてば急減する。借金と施設維持費で首が回らなくなり、財政再建団体寸前に陥った」

地元反対
北陸中日新聞(平成23年4月1日:朝刊)



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