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妙成寺 伽藍に「失われたDNA」櫻井敏雄氏 @オートプラザ青木

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妙成寺ー見えてきた価値ー

寄稿 櫻井敏雄氏

五重塔は寿福院の願い

妙成寺 北國新聞

国宝指定を目指す妙成寺(みょうじょうじ)(羽咋市滝谷町)の伽藍(がらん)と建築には、京の法華宗(ほっけしゅう)寺院から失われた近世初頭のDNAが残されている。
13日に妙成寺で開かれる公開講座を前に、これまで調査で見えてきた価値の一端を紹介したい。

南向き、横一列に

妙成寺は全国的に見て、京の法華宗本山の特色を継承するまれな伽藍と言える。
応仁の乱や近世の大火などで京では「洛中(らくちゅう)十七ケ寺」と呼ばれる法華宗の各本山が、いずれも場所を移しての復興を余儀なくされているからだ。

妙成寺は17世紀初頭の慶長期に建立された本堂を中核に、祖師(そし)堂、三光(さんこう)堂が南向きに横一列に並ぶ配置が特色である。

妙成寺 北國新聞1

このうち祖師堂に直目する。
一般に鎌倉新仏教は「祖師」(妙成寺の場合は日蓮)の振興を重視する。
このため、時代が下るにつれて、祖師堂は巨大化する傾向にある。
妙成寺は七間四方である本堂に対して、祖師堂は五間四方と小さいものの、内部は緻密(ちみつ)な組物(くみもの)や彫刻装飾が施され、見事な禅宗様式の空間となっている。

建築を手掛けたのは、「越前北之庄(きたのじょう)」出身の坂上越後守嘉紹(えちごのかみかしょう)ら「加賀建仁寺流(けんにんじりゅう)」と呼ばれる木造建築のプロ集団だった。

三十番神堂(さんじゅうばんしんどう)の建築はより特異である。
細い材木を組み合わせた構造は、福井県内に残る複数の社寺と共通している。
妙成寺と密接な関係を持つ金沢の経王寺(きょうおうじ)にあった三十番神堂は、越前経王寺から移築されたことが文書から分かっている。
三十番神堂は越前から金沢へ、さらに妙成寺へと2度移築を重ねた可能性がある。

池上本門寺で見る

この背後に見えるのが、加賀藩3代藩主前田利常の生母で、越前出身の寿福院(じゅふくいん)の存在である。

妙成寺の建築で特筆するべきは五重塔(ごじゅうのとう)であり、坂上越後守が手掛けた。
なだらかな丘に際立つ存在感は、京の伽藍にはない要素である。
建立の背景には、寿福院の強い願いがある。
江戸にいた寿福院は、徳川家康の側室で強い日蓮信仰を持つお万(まん)の方と親しく、五重塔がある池上本門寺(いけがみほんもんじ)に通っていたとみられ、この寺で荼毘(だび)に付されている。

五重塔は、釈迦の教えを体現している。
室町時代、法華宗はより規模の小さい多宝塔(たほうとう)を伽藍に建立していたが、寿福院は、目にした池上本門寺の五重塔の威容に惹(ひ)かれたのか。
妙成寺に多宝塔はなく、五重塔がそびえている。
実際、寿福院は久遠寺(くおんじ)(山梨県)と、法華経寺(千葉県)に五重塔を寄進している。
寿福院と五重塔はセットで捉えるべきだろう。

妙成寺の伽藍や建築の価値は、少しずつ明らかになっているが、将来の国宝指定に向け、周辺史料をさらに精力的に読み込む必要がある。

櫻井敏雄(さくらい・としお)
1939年東京生まれ。
大阪市立大大学院博士課程修了。工学博士。元近畿大教授。
現在は和歌山県文化財センター理事長。奈良県在住。

妙成寺 五重塔
妙成寺の五重塔。
寿福院が池上本門寺で見た五重塔が建立につながった可能性がある
=羽咋市滝谷町

北國新聞:平成28年3月10日朝刊より一部コピー ↑


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