ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010

北国新聞 平成22年9月19日朝刊

北国新聞 平成22年9月19日朝刊

北国新聞 平成22年9月20日朝刊
銀輪連ね 半島ゆく(平成22年9月19日朝刊)
第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」(同実行委、石川体協、県自転車競技連盟、北国新聞社主催)は18日、内灘町の県立自転車競技場を発着点に、3日間の日程で開幕した。
全国からエントリーした1412人のうち、初日は1106人が輪島市マリンタウンを目指し、力強くペダルをこいだ。
午前8時半、3日間で全行程409.3キロを走破するチャンピオンコースの654人と、内灘ー輪島を走る1日コースの452人が一斉にスタートした。
出場者は能登の自然を満喫しながら海岸沿いに銀輪を連ねた。
開会式では、山本正美北国新聞社事業局長と来賓の八十出泰成内灘町長があいさつ、緩詰潔県自転車競技連盟会長が激励した。
大会は財団法人JKAが特別協力する。
19日は輪島市マリンタウンから七尾市の能登島マリンパーク海族公園を目指す。
絆 駆ける能登路(平成22年9月19日朝刊)
18日開幕した第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」は
出場者が美しい海岸線を眺めながら能登路を進み、初日のゴール輪島市に到着した。
出場者の中には家族連れも多く、絆を深めるように互いに銀輪を連ね、励ましあいながらゴールを目指した。
競輪・小嶋選手 息子2人と参加
出場選手を支援するサポート隊として参加したバルセロナ五輪トラックレース日本代表の小嶋敬二選手も、長男翼君(14)=金大付中2年=と次男健太君(13)=同1年=とともに能登路を走り抜けた。
競輪のトップ選手である小嶋選手は、全国レースに出場するため金沢市の自宅を留守にすることが多い。
16年ぶりの参加となる今回は「せっかくなので家族で思い出をつくろう」と2人を大会に誘った。
小嶋選手は先頭集団を力強くリードし出場者にアドバイスを送った。
翼君と健太君も負けじと先頭集団について行き、翼君は「お父さんの走る姿は、テレビで見ることが多い。間近でみるとやっぱりかっこいい」と話し、
健太君も「最後は少しきつかったけどしっかり走ることができた」と達成感をにじませた。
父を追って最後まで走り抜いた2人に小嶋選手は「2人とも本当によく走った。自分の仕事を少し伝えることができたかな」と笑顔を見せた。
最年少6歳、走り抜く勘田君 父、兄に励まされ
最年少の6歳で1日コースに出場した勘田泰成君=金沢市中央小1年=は、父泰宏さん(40)と悠悟君=同市高岡中1年=、敬司君=同市中央小5年=の兄2人に励まされ、124.2キロを走りきった。
昨年初めてッ出場した敬司君に続けと約2ヶ月前から練習に励んだ泰成君。
坂道のつらさに涙を流し、足が着きそうになったが、横に並んで「頑張れ」と声を掛け続けてくれる父や兄に支えられ、スターとから約9時間後にゴールした。
真っ黒に焼けた顔で笑う泰成君は「もっと練習して、来年は家族でチャンピオンコースに挑みたい」と話した。
チャンピオンコースに最年少の7歳で出場した辻本青矢君(7)=静岡県盤田市=も父とともに初日を完走した。
漆仕立ての自転車、ヘルメット「走る芸術品」輪島市アピール
輪島市河井町の加波次吉(かばじきち)漆器店の加波基樹代表(40)は、漆仕立ての自転車とヘルメットでサポート隊を努め、「走る芸術品」として県内外からの出場者に輪島の美をアピールした。
昨年夏に完成したヘルメットは黒と金で彩られ、「着用した人が悠々と走れるように」と鳳凰の羽をイメージして加波さんがデザインした。
黒一色の自転車も昨秋に完成し、ヘルメットとともに今回のレースで初めて使用した。
自転車愛好家で、ツール・ド・のとに出場経験のある加波さんは「出場者がゴールの内灘町まで石川の自然を満喫できるようしっかりサポートしたい。漆の自転車とヘルメットにも注目してほしい」と話した。
ピンクのTシャツ
□
かなざわピンクリボンプロジェクト実行委員会の吉野裕司委員長=写真左=と横山浩一委員=同右=は、乳がんの早期発見と検診を訴えるピンク色のTシャツを着用して出場、出場者にピンクリボン運動を啓発した。
同委員会が26日に金沢市で開催する「メッセージウォーク2010」(本社主催)のPRも兼ねて出場した。
ゴールまでにTシャツは汗でぬれたが、2人は「いいアピールができた」と満足そうな表情を見せた。
近藤氏が初挑戦
□
「夢遊輪(むゆうりん)」=七尾市=のメンバーとして初参戦した近藤和也衆院議員は、初日のゴールを迎え「能登の人情と自然の素晴らしさを再確認した。残り2日間も全力で走り切る」と感想を語った。
演舞で盛り上げ
□
輪島市まんなか商店街は、同市河井町の中央通りで今大会に合わせて初めて「輪島まんなか・よさこい祭」を行い、大勢の市民や出場者が地元のよさこいチーム「輪翔(わしょう)めだか」などの力強い演舞に見入った。
銀輪で限界に挑戦 ツールドのと2日目(平成22年9月20日朝刊)
第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」」(同実行委、石川体協、県自転車競技連盟、北国新聞社主催)は2日目の19日、輪島市から七尾市能登島を目指す166.8キロのコースで行われた。
全行程走破を目指すチャンピオンコースに654人、輪島ー七尾間の1日コースに173人が参加。
出場者の中には若者に交じって高齢者の姿も多く見られ、自己の限界に挑戦しながらペタルをこぎ、風光明媚な能登路を快走した。
吉岡邦男輪島市教育長の号砲で同市のマリンタウンを一斉にスタートした出場者は、奥能登の海岸沿いや山間部の峠道を進んだ。
道中、沿道の住民や稲刈り中の農家も手を振って応援し、さわやかな潮風と能登の人情を受けながら、ゴールの七尾市能登島マリンパーク海族公園を目指した。
最終日の20日は、七尾市能登島から氷見市、宝達志水町、かほく市、津幡町を経て内灘町の県立自転車競技場までの118キロで行われる。
大会は財団法人JKAが特別協力する。
弁当1000食を提供
コンビニエンスストアチェーン大手のファミリーマートは、特製のツール・ド・のと弁当1000食を昼食として選手に提供し大会を支えた。
ゴール地点には、18日に続いて19日も出店し、力走で疲れた出場者に冷たいビールや清涼飲料水、おでんなどを提供。
出場者たちの英気を養った。
島の人情で迎え
ゴール地点では、七尾市能登島の女性ボランティアグループ「すみれ会」の川田武子会長(62)らメンバー4人をはじめ、能登島観光協会の職員が大鍋で作った1000食分のめった汁を出場者に振る舞った。
同協会が準備した同島の「ひょっこり温泉」の足湯も人気を集めた。
自衛隊員も支援
陸上自衛隊金沢駐屯地の第14普通科連隊の4人がリタイヤ者の自転車の回収、運搬で大会を後方支援した。
大野正人一曹らがトラック2台で最後尾などを走り、自転車をゴール地点へ運んだ。
シルバー選手快走
大会は「元気の源」最高齢79歳・小西さん
今大会の出場者で最高齢の小西孝一さん(79)=七尾市御祓町=は、七尾市のチーム「夢遊輪(むゆうりん)」の仲間とともにふるさと七尾のゴールに飛び込んだ。
若い時にタイヤ販売のため、七尾と能登各地を自転車で往復する日々を送っていた小西さんは「脚力に自信があった」という。
ツール・ド・のと出場は16回連続で、今年は前日に続き、1日コースに参加した。
仲間20人と週1回の練習を重ねて臨んだ今大会のモットーは「一生懸命走るだけ」。
筋肉痛を抑える薬をすり込み、仲間より休憩時間を短くして黙々と走り続けた。
来年傘寿を迎える小西さんは「ツール・ド・のとは元気の源。気力を集中し、体力の限界に挑んで完走した達成感は最高で、元気なうちは出場する」と意気込み、早くも来年の完走を誓った。
「孫から力」参戦 3代で参加、柏山さん
チャンピオンコースに初出場した柏山馨一さん(67)=小矢部市東福町=は孫3人と長女の夫の5人三世代で参加。
孫達を力強くリードし、2日目を終えた。
柏山さんは昨年、1日コースに初参加した孫の山田いづる君(8)=金沢市高尾町=を沿道で応援していたところ、「孫と一緒に走りたい」と出場を決意。
いづる君といづる君の父貴弘さん(37)、孫の河村峻平君=金沢市高尾台=、柏山耀標君=小矢部市東福町=と今大会に臨んだ。
柏山さんは、大会初日から孫3人にペースを合わせながら先導し、貴弘さんを「お義父さんが一番元気」と驚かせた。
ゴール後、足湯で疲れを癒した柏山さんは「孫が頑張っている姿を見ていると力が出ます」と話した。
*【ツール・ド・のと 最終日!】
*【ツール・ド・のと 笑顔のゴール】
*【第22回ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010】
*【石川津幡・「御門獅子舞」と「ツール・ド・のと400」】
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銀輪連ね 半島ゆく(平成22年9月19日朝刊)
第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」(同実行委、石川体協、県自転車競技連盟、北国新聞社主催)は18日、内灘町の県立自転車競技場を発着点に、3日間の日程で開幕した。
全国からエントリーした1412人のうち、初日は1106人が輪島市マリンタウンを目指し、力強くペダルをこいだ。
午前8時半、3日間で全行程409.3キロを走破するチャンピオンコースの654人と、内灘ー輪島を走る1日コースの452人が一斉にスタートした。
出場者は能登の自然を満喫しながら海岸沿いに銀輪を連ねた。
開会式では、山本正美北国新聞社事業局長と来賓の八十出泰成内灘町長があいさつ、緩詰潔県自転車競技連盟会長が激励した。
大会は財団法人JKAが特別協力する。
19日は輪島市マリンタウンから七尾市の能登島マリンパーク海族公園を目指す。
絆 駆ける能登路(平成22年9月19日朝刊)
18日開幕した第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」は
出場者が美しい海岸線を眺めながら能登路を進み、初日のゴール輪島市に到着した。
出場者の中には家族連れも多く、絆を深めるように互いに銀輪を連ね、励ましあいながらゴールを目指した。
競輪・小嶋選手 息子2人と参加
出場選手を支援するサポート隊として参加したバルセロナ五輪トラックレース日本代表の小嶋敬二選手も、長男翼君(14)=金大付中2年=と次男健太君(13)=同1年=とともに能登路を走り抜けた。
競輪のトップ選手である小嶋選手は、全国レースに出場するため金沢市の自宅を留守にすることが多い。
16年ぶりの参加となる今回は「せっかくなので家族で思い出をつくろう」と2人を大会に誘った。
小嶋選手は先頭集団を力強くリードし出場者にアドバイスを送った。
翼君と健太君も負けじと先頭集団について行き、翼君は「お父さんの走る姿は、テレビで見ることが多い。間近でみるとやっぱりかっこいい」と話し、
健太君も「最後は少しきつかったけどしっかり走ることができた」と達成感をにじませた。
父を追って最後まで走り抜いた2人に小嶋選手は「2人とも本当によく走った。自分の仕事を少し伝えることができたかな」と笑顔を見せた。
最年少6歳、走り抜く勘田君 父、兄に励まされ
最年少の6歳で1日コースに出場した勘田泰成君=金沢市中央小1年=は、父泰宏さん(40)と悠悟君=同市高岡中1年=、敬司君=同市中央小5年=の兄2人に励まされ、124.2キロを走りきった。
昨年初めてッ出場した敬司君に続けと約2ヶ月前から練習に励んだ泰成君。
坂道のつらさに涙を流し、足が着きそうになったが、横に並んで「頑張れ」と声を掛け続けてくれる父や兄に支えられ、スターとから約9時間後にゴールした。
真っ黒に焼けた顔で笑う泰成君は「もっと練習して、来年は家族でチャンピオンコースに挑みたい」と話した。
チャンピオンコースに最年少の7歳で出場した辻本青矢君(7)=静岡県盤田市=も父とともに初日を完走した。
漆仕立ての自転車、ヘルメット「走る芸術品」輪島市アピール
輪島市河井町の加波次吉(かばじきち)漆器店の加波基樹代表(40)は、漆仕立ての自転車とヘルメットでサポート隊を努め、「走る芸術品」として県内外からの出場者に輪島の美をアピールした。
昨年夏に完成したヘルメットは黒と金で彩られ、「着用した人が悠々と走れるように」と鳳凰の羽をイメージして加波さんがデザインした。
黒一色の自転車も昨秋に完成し、ヘルメットとともに今回のレースで初めて使用した。
自転車愛好家で、ツール・ド・のとに出場経験のある加波さんは「出場者がゴールの内灘町まで石川の自然を満喫できるようしっかりサポートしたい。漆の自転車とヘルメットにも注目してほしい」と話した。
ピンクのTシャツ
□
かなざわピンクリボンプロジェクト実行委員会の吉野裕司委員長=写真左=と横山浩一委員=同右=は、乳がんの早期発見と検診を訴えるピンク色のTシャツを着用して出場、出場者にピンクリボン運動を啓発した。
同委員会が26日に金沢市で開催する「メッセージウォーク2010」(本社主催)のPRも兼ねて出場した。
ゴールまでにTシャツは汗でぬれたが、2人は「いいアピールができた」と満足そうな表情を見せた。
近藤氏が初挑戦
□
「夢遊輪(むゆうりん)」=七尾市=のメンバーとして初参戦した近藤和也衆院議員は、初日のゴールを迎え「能登の人情と自然の素晴らしさを再確認した。残り2日間も全力で走り切る」と感想を語った。
演舞で盛り上げ
□
輪島市まんなか商店街は、同市河井町の中央通りで今大会に合わせて初めて「輪島まんなか・よさこい祭」を行い、大勢の市民や出場者が地元のよさこいチーム「輪翔(わしょう)めだか」などの力強い演舞に見入った。
銀輪で限界に挑戦 ツールドのと2日目(平成22年9月20日朝刊)
第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」」(同実行委、石川体協、県自転車競技連盟、北国新聞社主催)は2日目の19日、輪島市から七尾市能登島を目指す166.8キロのコースで行われた。
全行程走破を目指すチャンピオンコースに654人、輪島ー七尾間の1日コースに173人が参加。
出場者の中には若者に交じって高齢者の姿も多く見られ、自己の限界に挑戦しながらペタルをこぎ、風光明媚な能登路を快走した。
吉岡邦男輪島市教育長の号砲で同市のマリンタウンを一斉にスタートした出場者は、奥能登の海岸沿いや山間部の峠道を進んだ。
道中、沿道の住民や稲刈り中の農家も手を振って応援し、さわやかな潮風と能登の人情を受けながら、ゴールの七尾市能登島マリンパーク海族公園を目指した。
最終日の20日は、七尾市能登島から氷見市、宝達志水町、かほく市、津幡町を経て内灘町の県立自転車競技場までの118キロで行われる。
大会は財団法人JKAが特別協力する。
弁当1000食を提供
コンビニエンスストアチェーン大手のファミリーマートは、特製のツール・ド・のと弁当1000食を昼食として選手に提供し大会を支えた。
ゴール地点には、18日に続いて19日も出店し、力走で疲れた出場者に冷たいビールや清涼飲料水、おでんなどを提供。
出場者たちの英気を養った。
島の人情で迎え
ゴール地点では、七尾市能登島の女性ボランティアグループ「すみれ会」の川田武子会長(62)らメンバー4人をはじめ、能登島観光協会の職員が大鍋で作った1000食分のめった汁を出場者に振る舞った。
同協会が準備した同島の「ひょっこり温泉」の足湯も人気を集めた。
自衛隊員も支援
陸上自衛隊金沢駐屯地の第14普通科連隊の4人がリタイヤ者の自転車の回収、運搬で大会を後方支援した。
大野正人一曹らがトラック2台で最後尾などを走り、自転車をゴール地点へ運んだ。
シルバー選手快走
大会は「元気の源」最高齢79歳・小西さん
今大会の出場者で最高齢の小西孝一さん(79)=七尾市御祓町=は、七尾市のチーム「夢遊輪(むゆうりん)」の仲間とともにふるさと七尾のゴールに飛び込んだ。
若い時にタイヤ販売のため、七尾と能登各地を自転車で往復する日々を送っていた小西さんは「脚力に自信があった」という。
ツール・ド・のと出場は16回連続で、今年は前日に続き、1日コースに参加した。
仲間20人と週1回の練習を重ねて臨んだ今大会のモットーは「一生懸命走るだけ」。
筋肉痛を抑える薬をすり込み、仲間より休憩時間を短くして黙々と走り続けた。
来年傘寿を迎える小西さんは「ツール・ド・のとは元気の源。気力を集中し、体力の限界に挑んで完走した達成感は最高で、元気なうちは出場する」と意気込み、早くも来年の完走を誓った。
「孫から力」参戦 3代で参加、柏山さん
チャンピオンコースに初出場した柏山馨一さん(67)=小矢部市東福町=は孫3人と長女の夫の5人三世代で参加。
孫達を力強くリードし、2日目を終えた。
柏山さんは昨年、1日コースに初参加した孫の山田いづる君(8)=金沢市高尾町=を沿道で応援していたところ、「孫と一緒に走りたい」と出場を決意。
いづる君といづる君の父貴弘さん(37)、孫の河村峻平君=金沢市高尾台=、柏山耀標君=小矢部市東福町=と今大会に臨んだ。
柏山さんは、大会初日から孫3人にペースを合わせながら先導し、貴弘さんを「お義父さんが一番元気」と驚かせた。
ゴール後、足湯で疲れを癒した柏山さんは「孫が頑張っている姿を見ていると力が出ます」と話した。
*【ツール・ド・のと 最終日!】
*【ツール・ド・のと 笑顔のゴール】
*【第22回ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010】
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