ツール・ド・のと 最終日
20日に最終日を迎えた第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」は、七尾市を出発した出場者787人がゴールの県立自転車競技場(内灘町)を目指して力強くペタルをこぎ進んだ。
ゴールでは、それぞれの思いを胸に3日間で全長409.3キロを走り抜いた出場者が、ともに走った仲間たちや出迎えた家族と笑顔を並べた。

北国新聞 平成22年9月21日(朝刊)
充実の409キロ 検討たたえ
曇りとなった最終日、出場者は七尾市から氷見市、宝達志水町、かほく市、津幡町を経て内灘町までを目指す118.3キロコースに挑み、沿道の声援を受けながら疾走した。
午後2時50分すぎ、待ち構えた観客から「お帰りなさい」「お疲れさま」と声が上がる中、先頭集団がバルセロナ五輪トラックレース代表の小嶋敬二選手らサポート隊とともにゴール。
両手を上げたり、観客に手を振るなど思い思いに喜びを表現した。
閉会式では、参加者が互いの健闘をたたえ、来年の再会を約束した。
連続出場の4人「来年も走る」
第1回から今大会まで連続出場を続ける選手も全行程を走破した。
ゴール後には達成感に満ちた表情で、「来年も走る」と早くも記録更新へ意欲を見せた。
チャンピオンコースで連続出場を果たしたのは、
川端明さん(62)=内灘町=
柏木寛明さん(56)=群馬県安中市=
古川博人さん(47)=白山市=
北出祐一さん(43)=金沢市= の4人。
川端さんは「年々きつくなっているけど、ゴール後の達成感を味わいたくて続けている。孫と出るまで頑張る」と力を込めた。
18,19日の1日コースにそれぞれ参加した
高峯朗さん(51)=輪島市=
も22大会連続出場を果たした。
急死の友人の分も・・・遺影を胸に力走
田中敏美さん(59)=三重県桑名市=は、今大会を心待ちにしながら8月に70歳で急死した友人
横山明允さん=東京都武蔵野市=
の写真を首から下げ、チャンピオンコースを走りきった。
三重の田中さん
2人が知り合ったのは田中さんが初めて出場した第5回大会。
何度も顔を合わせるうちに親しくなり、そろって毎年出場すりょうになった。ほかに知り合った仲間たちとも申し合わせて同じ宿に泊り、一日一日が終わるたび自転車談義に花を咲かせた。
今大会も再会を誓ってエントリーしていた2人だったが、横山さんは8月28日早朝、練習中に自宅近くの公園前で倒れ、亡くなった。
突然の出来事にショックを受けた田中さんだが「『のと』が好き。『のと』だけは必ず走る」といつも語っていた横山さんの分も走ろうと、前回大会で完走した際に撮影した写真を持って出場することにした。
志賀町の機具岩、珠洲市の海岸線、能登町の桜峠。
横山さんの好きだった場所を通るたび、田中さんは写真を持ち上げて、それぞれの風景に向けたという。
完走後、写真を見詰めた田中さんは「矢すらかに眠ってほしい。横山さんにはもう会えないが、来年もまた『のと』にくる」と話した。
プルデンシャルが大会支援
大会では、プルデンシャル生命保険金沢支社の社員がボランティアスタッフとして大会運営をサポートした。
最終日は社員19人がゴールで受付係りや誘導係りなどを務め、「完走おめでとう」などと声を掛けて出場者をねぎらった。
社員12人はそれぞれ家族とともに大会に出場した。
馳議員も銀輪連ねる
最終日の1日コースには、馳浩衆院議員が出場した。
東京へ戻る飛行機の出発時間が迫ったため途中棄権したが、沿道でほかの出場者と銀輪を連ねた。
ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010
詳細→【北国新聞主催】
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*【石川津幡・「御門獅子舞」と「ツール・ド・のと400」】
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(有)オートプラザ青木 TEL(076)289-0009
20日に最終日を迎えた第22回「ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010」は、七尾市を出発した出場者787人がゴールの県立自転車競技場(内灘町)を目指して力強くペタルをこぎ進んだ。
ゴールでは、それぞれの思いを胸に3日間で全長409.3キロを走り抜いた出場者が、ともに走った仲間たちや出迎えた家族と笑顔を並べた。

北国新聞 平成22年9月21日(朝刊)
充実の409キロ 検討たたえ
曇りとなった最終日、出場者は七尾市から氷見市、宝達志水町、かほく市、津幡町を経て内灘町までを目指す118.3キロコースに挑み、沿道の声援を受けながら疾走した。
午後2時50分すぎ、待ち構えた観客から「お帰りなさい」「お疲れさま」と声が上がる中、先頭集団がバルセロナ五輪トラックレース代表の小嶋敬二選手らサポート隊とともにゴール。
両手を上げたり、観客に手を振るなど思い思いに喜びを表現した。
閉会式では、参加者が互いの健闘をたたえ、来年の再会を約束した。
連続出場の4人「来年も走る」
第1回から今大会まで連続出場を続ける選手も全行程を走破した。
ゴール後には達成感に満ちた表情で、「来年も走る」と早くも記録更新へ意欲を見せた。
チャンピオンコースで連続出場を果たしたのは、
川端明さん(62)=内灘町=
柏木寛明さん(56)=群馬県安中市=
古川博人さん(47)=白山市=
北出祐一さん(43)=金沢市= の4人。
川端さんは「年々きつくなっているけど、ゴール後の達成感を味わいたくて続けている。孫と出るまで頑張る」と力を込めた。
18,19日の1日コースにそれぞれ参加した
高峯朗さん(51)=輪島市=
も22大会連続出場を果たした。
急死の友人の分も・・・遺影を胸に力走
田中敏美さん(59)=三重県桑名市=は、今大会を心待ちにしながら8月に70歳で急死した友人
横山明允さん=東京都武蔵野市=
の写真を首から下げ、チャンピオンコースを走りきった。
三重の田中さん
2人が知り合ったのは田中さんが初めて出場した第5回大会。
何度も顔を合わせるうちに親しくなり、そろって毎年出場すりょうになった。ほかに知り合った仲間たちとも申し合わせて同じ宿に泊り、一日一日が終わるたび自転車談義に花を咲かせた。
今大会も再会を誓ってエントリーしていた2人だったが、横山さんは8月28日早朝、練習中に自宅近くの公園前で倒れ、亡くなった。
突然の出来事にショックを受けた田中さんだが「『のと』が好き。『のと』だけは必ず走る」といつも語っていた横山さんの分も走ろうと、前回大会で完走した際に撮影した写真を持って出場することにした。
志賀町の機具岩、珠洲市の海岸線、能登町の桜峠。
横山さんの好きだった場所を通るたび、田中さんは写真を持ち上げて、それぞれの風景に向けたという。
完走後、写真を見詰めた田中さんは「矢すらかに眠ってほしい。横山さんにはもう会えないが、来年もまた『のと』にくる」と話した。
プルデンシャルが大会支援
大会では、プルデンシャル生命保険金沢支社の社員がボランティアスタッフとして大会運営をサポートした。
最終日は社員19人がゴールで受付係りや誘導係りなどを務め、「完走おめでとう」などと声を掛けて出場者をねぎらった。
社員12人はそれぞれ家族とともに大会に出場した。
馳議員も銀輪連ねる
最終日の1日コースには、馳浩衆院議員が出場した。
東京へ戻る飛行機の出発時間が迫ったため途中棄権したが、沿道でほかの出場者と銀輪を連ねた。
ツール・ド・のと400-能登半島一周サバイバル・サイクル2010
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